鹿児島県垂水市の議会議員 堀内貴志です。大隅の垂水市のことをどんどん紹介いたします。是非一度垂水にお越しください。素晴らしい景観と、素晴らしい温泉、素晴らしい水をご堪能いただけるものと確信しております。

垂水市議会議員 堀内貴志オフィシャルサイト
投稿日:2012年6月16日  投稿者:堀内貴志   詳細表示へ

2012.4.1 から一般公開。

 鹿児島県の埋没鳥居というと桜島黒神の埋没鳥居が有名ですが、今年4月に一般に公開されるようになった垂水市牛根麓の埋没鳥居は、必ず訪れてほしい場所です。

大正3年の桜島の大噴火で埋もれて以来、一般に公開されることなく今日まで来ました。垂水市の埋没鳥居は、「久富木家」所有の畑の一角にあり、遊歩道と駐車場が整備されて、98年ぶりに一般公開された稲荷神社の鳥居です。

 さらにここからの景色は、桜島の噴火口が目の前に見え、4年前に完成した「牛根大橋」と桜島のコラボが美しい絶景の場所で
す。

※ 更に2012.12.12には、垂水市牛根麓に新たなスポットが登場します。それは「国旗日の丸のふるさと」です。
昇平丸のモニュメントと記念石碑が建立される計画です。お楽しみに・・!

投稿日:2011年10月22日  投稿者:堀内貴志   詳細表示へ

 牛根地区といえば、「道の駅たるみず」がありますが、この道の駅は、年間80万人の来訪者があり、日本経済新聞の「家族で1日楽しめる道の駅ランキング」で西日本で第4位(全国第7位)に入ったことのある施設です。

 その”道の駅たるみず”の近く、牛根地区には多くの歴史が埋まっていました。

 宇喜多秀家潜居跡平野屋敷

慶長5年(1600年)関ヶ原の戦いに敗れた爾志郡の大将権中納言宇喜多秀家は、徳川方の追求の目を逃れて島津家に頼ってきた。島津義弘は、秀家を牛根辺田の平野屋敷において辺田在住の郷土に監視と警護をさせた。足がけ3年間この地に滞在し毎日3??離れた居世神社に日参し静かな生活を送った。

 権中納言宇喜多秀家公潜居跡地

潜居跡地は、平野家から山間に約100??歩いた場所にあります。
宇喜多秀家公は、岡山城主で豊臣秀吉政権の五大老でした

牛根の平野家と岡山県宇喜多家関係者とは今でも交流が続いており、毎年お参りに来られるそうです。

七人塚

壇ノ浦の戦い後、平家落人たちはこの鹿児島県垂水の地まで生き延びて来ました。
 ある日、七人の侍がこの地を訪れた時に”平家落人を追ってきた源氏”だと勘違いして一人づつ刺殺してしまったそうです。

その供養のために奉っているのが七人塚と呼ばれているとか・・(樹齢数百年のアコウの木の根本に眠っています)

 居世神社

祭神は欽明天皇の皇子で文明7年(1475年)に建立された。
社伝によるとこの場所の渚に空船が漂流し中に7歳の童子が乗っており、これが欽明天皇の第一皇子だったそうです。

その後この地で13歳まで薨ぜられたそうです。

神社には天皇家の菊の御紋があります。

 稲荷大明神??埋没鳥居

久富木家のビワ畑の小高いところに隠れています。
天昇2年(1575年)牛根城落城後、島津の権勢を誇示するために島津の氏神である稲荷神社を創建したうえ田畑を与え崇拝せしめたといいます。

近日、歩道が整備されて観光誘致の一カ所になるそうです。

 

 牛根大橋と桜島

埋没鳥居の位置から見る景色は最高です。

牛根大橋と桜島が絶好の写真撮影ポイントです。

この日は桜島が雲に覆われていましたが、晴れた日には活発な噴火口がしっかりと見えます。爆発の瞬間に遭遇するかもしれません。

 掛佛

永正3年(1506年)作の観音像

当時の牛根城領主池袋宗政公が京都より歓請して奉納したものといわれる。現在は久富木家に宝物として大切に保管されている。

 

 安徳天皇陵(みささぎ)

壇ノ浦の戦いで敗れた平家が奉じた安徳天皇が牛根に漂着されたと伝承されている。(1804)島津重豪公が参拝して自ら献燈・玉垣を奉納されたものが既存している。

 

 牛根散策ルートには歴史のある石垣が多く残っている。

 天然のヘゴ

高さ3??はある天然のヘゴの密集地です。

年代を感じさせてくれます。

   

 造船所跡地

安政年間(1854~1858)島津斉彬が幕府の眼をぬすんで対岸の桜島瀬戸部落と共に西洋式の軍艦を建造したところです。

現在、この場所には山下造船所がある。
この辺一帯で造られ幕府に進呈された「昇平丸」には、船印として日本で初めて日の丸の旗が掲縺偵i繧後◆

※日の丸発祥の地です

 

投稿日:2011年10月27日  投稿者:堀内貴志   詳細表示へ

第二段 垂水中央→水之上地区

 

荒崎パーキング

写真撮影ポイントとして錦江湾と桜島を眺める絶好の場所です。我が家では毎年元旦に家族写真を撮っています。

しばらくの間は、この写真で辛抱して下さい。(2011.1.1撮影)

垂水城跡と殿様水

荒崎パーキングから垂水中央へ焼く100??のところにあります。垂水市でもっとも古い山城のひとつ。保安元年(1120年)築城されました。

跡地からは、今でも殿様水と呼ばれる湧き水が出ています。

殿様水は、垂水の語源になった場所です。

お長屋

垂水島津家第4代、島津相模守久信が慶長16年(1611年)に築城した林之城(垂水御館)の楼門脇の建物です。

数度の火災や戦争にも無事焼け残り、400年の歴史を物語ってくれる貴重な木造建築物です。

 

 島津家墓地

島津77万石を支える一門家(加治木・重富。垂水・今和泉)の一つである垂水島津家は初代忠将から16代貴暢まで約250年間垂水を治めました。

 

 篤姫と八百姫

垂水島津家の「八百姫」は、篤姫(NHK大河ドラマで有名)より前に徳川第13代将軍「家定」の正室候補に上がった姫です。

 

 蜊・怕瘁・=モ・≧

鹿児島県の観光ポスターのひとつになっているのが「千本いちょう」ですが、この場所はなんと垂水市にあります。

オーナーの中馬さんは、毎日この山に出かけ手入れをしていますが、今は銀杏の実がいっぱい付いています。
(写真は、10月20日現在です)

 

 手貫神社(上之宮神社)

手貫神社は、別名上之宮神社といって垂水ではもっとも格式の高い神社です。応神天皇、神巧皇后、玉依姫、仁徳天皇の四神が祭ってあり、少なくとも平安時代末(800年以前)には既にこの神社があったことがわかっています。
 

 

 勝軍地蔵

永正3年(1506年)に当時の高城城主・肥後文次郎盛明が太守島津忠昌を施主として、子孫繁栄・武運長久・領内安穏を祈願して建立したものです。中央に菩薩地蔵、左に毘沙門天、右に多門天を配し、いずれも木彫りで色彩が施されています。

 

 勝軍地蔵(その2)

県下最古の木仏像で、その作巧妙といわれ、昭和28年に鹿児島県の文化財に指定されました。

昭和53年頭部から学術的に貴重な資料が発見され平成14年に県文化財追加指定になっている。

 

福寿寺跡と伊地知氏の石塔群

伊地知氏は畠山重忠と同族の秩父姓で、かって加賀の国(石川県)の地頭であった伊地知季随が暦応3年(1340年)島津貞久に仕えるようになる。
 その後、第9代島津久豊は、応永9年(1412)伊地知季随の孫、季豊に垂水の地を与え、それから代々、本城を中心として伊地知氏がこの垂水を治めた。 

町田・川上両家の墓

第4代垂水島津家、島津久信公のお家騒動(跡目相続)でその責任を取らされ誅殺された家臣(川上忠実、次男・川上忠利、町田忠照)の墓。
 遺体は晒し者になるところを隠密に福寿寺まで搬送され、お寺の住職らによって弔われたと言われています。
 

 

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